岩松 暉著『残照』6


学力崩壊

 文部省が小中高校生を対象に共通学力テストを実施する方針を決めたという。「ゆとり」教育の名の下に学習内容の削減を進めた結果、学力低下を招いたとの批判が強まったため、実態調査に乗り出したと、新聞に解説されていた。
 確かに大学生を教えていて実感としてわかる。理学部の学生でも、アルキメデスの原理やピタゴラスの定理を知らない者が最近現れた。高校入試で出る浮力の問題が解けないのである。少子化時代になって全入に近くなったから、低学力者が入学してくるようになったのだろうと考えていた。18歳人口の4割近くが大学に進学するようになった大学大衆化の現れであって、優秀な人は昔と同じく一定数はいるのだろうと思っていた。しかし、戸瀬慶大教授らの調査によると有名私大の経済系でも分数の計算ができない学生がかなりいるとのことである。東大でも、年々入試問題が易しくなってきたのに、合格最低点が過去20年で15点も下がっているという。1点を争う最低ラインでは同点が何人も、いや何10人もひしめいている。15点というのは相当な数字である。やはり、全体として若者の学力が低下していると考えたほうがよさそうだ。
 とうとう中教審もこのような学力崩壊の現状を追認したのか、高校教師を非常勤講師に採用して、授業についてこれない大学生のために、高校レベルの補習授業をするようにと、答申するらしい。しかし、補習授業で単位を集め、卒業単位を満たして卒業しても、それは年を食った高卒でしかない。社会が求めているのは、次代を託せる人材である。それは昔も今も変わらない。不況が深刻になればなるほど、企業は優秀な人材を求める。厳しい修行を積んだ職人と異なって手に職もなく、大卒にふさわしい学識も見識もない人間は、卒業後どうなるのだろうか。背広を着てプライドだけ高いホームレスになるのではと、本当に心配である。
 ではどうすればよいのであろうか。学生に媚び、学生のレベルに合わせて要求水準を下げることではない。まず、入試でどんなに低学力でも定員一杯合格させよとの行政指導を撤廃することである。規制緩和が必要である。大学教育に耐えられない者は、なるべく早いうちに方針転換したほうが本人のためでもある。手に職をつけるには、若ければ若いほどよいのだから。現在、大学時代を無為に過ごして、卒業後職業学校に入り直す人がかなりいる。貴重な青春時代を無駄にするものだ。もったいない。次に、諸外国のように、毎学年審査して、一定水準に達しない者は、どしどし退学させるべきである。入りやすくて出にくいのが外国の大学である。だから真剣に勉強している。中高生の国際比較試験で日本の成績は大変よいが、大卒のレベルで逆転するのはこれが原因の一つである。何しろ日本の大学生の宅習時間は小中学生以下だからである。レジャーランドと化しているのである。
 まったく文部省や中教審は何を考えているのだろうか。義務教育なら、入れた以上手取り足取りして最低限の知識を身につけさせろ、というこの考えはよくわかる。しかし、大学は受け身の勉強をするところではない。自ら努力して学ぶところである。そうしたチャレンジ精神・創造的精神が、次の時代を切り開いていく力を身につけることにつながるのだ。
 しかし、大学教育の改革だけでは解決しない。こうなった原因はもっと根深いところにある。家庭教育・幼児教育を含めて全体として抜本的に改善しないと、大変なことになる。経済再建より学力崩壊の解決が焦眉の課題である。日本の行く末に決定的な影響を与えるであろう。

(1999.10.15 稿)


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更新日:1999年10月15日